悪者見参―ユーゴスラビアサッカー戦記 (集英社文庫)

サッカー

サッカーを切り口とした世紀末ユーゴ情勢ルポ ユーゴスラビアサッカー戦記とある。
 が、むしろサッカーを切り口とした世紀末ユーゴ情勢ルポというべきだろう。
 世紀末とは1998年?1999年。仏W杯前からユーゴ代表が欧州選手権への出場権を手にするまで、である。
 下敷きには90年代の旧ユーゴ崩壊と国際社会からの孤立があり、ユーゴ連邦を構成していた諸民族間の対立がある。
 そして世紀末に起こったトピックとして、NATOによる新ユーゴへの空爆(1999年)がある。
 この複雑極まりない状況のもとでバルカン(旧ユーゴ全域をとりあえずこう呼ぼう)のフットボーラーたちは何を思い、どのように行動してきたか。

 著者の軸足はピクシーことストイコビッチの出自たるセルビア=新ユーゴに置かれている。
 しかし、舞台はセルビアにとどまらず、クロアチア、マケドニア、モンテネグロ、コソボへと転じ、行く先々で出会うフットボーラーを通じて、諸民族の視点からバルカン情勢が語られる。
 例えば、セルビア人から見たコソボ紛争とアルバニア人から見たコソボ紛争。それぞれの目にはまるで異なる像が結ばれている。
 セルビアへの熱い想いを持つ著者は、そうした異なる視点に出会うたびに混乱し懊悩する。
 同じ章の中に様々な視点からの叙述が交錯し、タッチも距離をおいて描写したかと思えばいきなり感情移入たっぷりのコトバが飛び出してくる。
 著者の当惑が読者をも惑わせる。

 著者が繰り返し論じているのは、つまるところスポーツと政治とメディア。
 スポーツと政治が関連付けられないわけにはいかないバルカンの情勢。
 メディアごとの立場(政治的、経済的)によって生じる情報の差異。その結果生まれる人々の認識の落差。メディアの脅威と限界。

 サッカーというものをツールにして、そんなことどもを考えさせられる僕たちは、そしてそんなことを考えるツールにされちゃうサッカーってモノは、果たしてシアワセなんだろーか。
 少なくともバルカンの人々よりはシアワセなんだろーな
ユーゴスラビアと呼ばれることすら現地の人は嫌がっている 「オシムの言葉」等、旧ユーゴスラビアとサッカーを知りたいなら間違いなく木村元彦さんの本を読むべきだと私は思う。また、別の作品も読んでみたいと思う。

 本書は1999年の「NATOによる空爆は何も解決できないどころか悪でしかなかった」ということを、住人やサッカー選手の立場から教えてくれる貴重な記録だ。

 また、よく言われる「政治とスポーツは一緒にしてはいけない」という言葉は無意味とも思えてしまうほど、ストイコビッチをはじめ、アマチュア選手からサッカー協会までに接触して個人単位のリアルな姿を紹介してくれている。

 この著を読むことは歴史というものが一人一人の人間の微々たる行動に集合により動かされ、またいかにテレビや新聞の報道がプロパガンダ(オシムがよく使う言葉)なのかということがよくわかる。そして何より当人同士の争いは他人が介入して本当に解決できるものではないということを教えてくれている。

 私はこの著を歴史を教える学校の先生に是非読んでもらいたいと思う。もちろん公務員の仕事なので授業の仕方はある程度決まっていると思うが、できれば教科書を読んだ後にこういうことを話してあげて欲しいと思う。でも、今の先生の立場では「進学のため以外の余計なこと」としてPTAと教育委員会から弾圧されてしまうだろう。だが、それ自体が愚かだということを子供に教えてあげるべきだと私は思う。民族自決とは何か?『オシムの言葉』から、ユーゴスラビア崩壊に興味を持って、木村元彦をもう一冊。

ユーゴスラビアサッカーに魅せられた著者が、ユーゴスラビアの崩壊と、そのプレーヤーを初めとするサッカー界への影響を、現地に何度も足を運んで見続けたドキュメントだ。どうしようもない歴史に押し流される人々。話に引きつけられる。

『オシムの言葉』に少し触れられていた民族主義の暴走が、本書では克明に追われている。紛争の始まりには独立に積極的でなかった人が、紛争が進むに連れて強烈な民族主義的発言をするようになるのは恐ろしいことである。それは対立を煽るテロ組織を勢いづかせて、紛争の解決を不可能とする。独裁者が勝手に戦争を起こすのではなく、衆愚が戦争を起こすのだ。そして、大衆はほぼいつでも衆愚なのだ。

民族自決は良いことだというのが現在の常識だが、そうしてどんどん細かくなっていったのがユーゴスラビアの崩壊だ。民族自決ったって、どの範囲を民族と言うかを突き詰めていくといくらでも細かくなる可能性がある。ベオグラードのサッカーチームのサポータ間の仲の悪さも有名だそうで、ま、これも宗教の信者間の対立みたいなものだし、共和国対立からここまで細かい分裂まで“民族”の定義って連続なのだと思う。私は関西で生まれ育った人間だが、最近の2チャンネルの書き込みの中の関西人に対する露骨な差別発言などを見ていると、「お国びいき」極めて偏狭なものに簡単になることに戦慄を覚えて、ユーゴスラビアの歴史が人ごとには思えなくなる。

ユーゴスラビアの人名や地名が大量に出てきて、全然覚えられなかったのだが、それもあまり欠点になっていない。文章も読みやすく力がある。大変お薦め。木村 元彦悪者見参―ユーゴスラビアサッカー戦記 (集英社文庫)

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サッカーを切り口とした世紀末ユーゴ情勢ルポ ユーゴスラビアサッカー戦記とある。
 が、むしろサッカーを切り口とした世紀末ユーゴ情勢ルポというべきだろう。
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